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△:第2,4土曜日は休診

つくばマラソン

'13/12/10 (Tue)

11月24日(日)、人生2回目のフルマラソンを走った。

 

 

今回のレースではこんなにゴールが遠く感じるものとなるとは思っていなかった。

 

ゴールの瞬間、やっと解放された・・・、と思った。

 

完走のご褒美のポカリをもらい、競技場のトラックの内側のフィールドに座り込むとそのまま横になった。

 

動けない。

 

内転筋、ハムストリングス、大腿四頭筋、ふくらはぎ、足指の筋肉など両脚のあらゆる筋肉がツッた。

 

脚の角度を変えてツッた筋肉を伸ばそうとすると反対側の筋肉がツルのである。

 

救護の人にも声をかけられたが、ひとまず放って置いてもらうことにした。

 

 

この日は13時で16℃だったらしい。

 

9時30分のスタート後、5kmですでに汗をかいていた。

 

その後も汗が止まることはなかった。

 

エイドでの水分補給は走っていくにつれ、口の中を濡らしたいけど、飲む量は減っていった。

 

レース前の金曜と土曜の朝は下痢をしていた。

 

そして土曜の夜は疲労を取ろうと銭湯で大汗をかいた。

 

入浴後はスポーツドリンクで補給したのだが、下痢を恐れて量が足りなかったのかもしれない。

 

結局、レース中に脱水を起こしたのだった。

 

残り10kmくらいからは、スピードを上げようとすると脚(ハムスト)がツリそうになるのである。

 

ここでツッてしまったら、おそらくもう走れない、歩くのはできるが走れなくなると思ってなんとかツラないように走り切った。

 

 

1時間程フィールドで寝っ転がってようやく脚もツラなくなってきた。

 

完走証を受け取り、帰り支度を始めた。

 

途中、バスを待つ列で知人に会った。

 

彼女は2時間台で走るランナーなので、まさかこんな時間までいるとは思ってもみなかった。

 

 

つくばエクスプレスにはポカリを買って乗り込み、秋葉原に着いた時には空になっていた。

 

さらに家でもスポーツドリンクや水を飲み、翌朝までに3リットル以上飲んだ。

 

 

朝イチのトイレでおしっこがちょろちょろとしか出なく終わったのか終わってないのか感覚が良く分からない。

 

まるで締りの悪い蛇口のようでとても気持ちが悪い。

 

お昼のトイレでも同じ状態で気持ちが悪い。

 

オレのカラダ、ちゃんと元に戻るんだろうかと不安になってきた。

 

 

夕方ようやく勢いを取り戻してキレも抜群になった。

 

 

今回のレースはいろんな意味でいい勉強になりました。

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                                      自己記録を5分短縮

 

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     手元の時計のラップ

 

     5k       25'52"

     10k      24'37"     50'29

     15k      24'44"     1h15'14"

     20k      25'14"     1h40'28"

     25k      25'38"     2h06'07"

     30k      26'43"     2h32'50"

     35k      28'27"     3h01'18"

     40k      30'40"     3h31'59"

     42.195   13'37"     3h45'37"


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八ヶ岳 〜最終章〜

'13/11/12 (Tue)

今回の登山の行程は僕が作ってスケさんとマサシにメールした。

 

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<1日目>

 

★(編笠山→青年小屋)

 

7:00新宿発(スーパーあずさ1号) → 8:54小淵沢着 → 9:30観音平(タクシー) → 10:00登山スタート(1580) → 

 

11:00雲海展望台、休憩10分 → 12:00押手川、休憩10分 → 13:30編笠山登頂(2523)、昼食40分、14:10発 → 14:30青年小屋チェックイン 

 

 

 

<2日目>

 

5:30起床、7:00出発

 

★(青年小屋→権現岳→西岳)

 

7:00 → 8:30権現岳登頂(2715)、9:00発 → 10:10青年小屋、水補給、源氏新道 → 

 

11:30西岳登頂(2398)、昼食40分、12:10発 → 14:10不動清水、休憩20分、→ 15:00富士見高原ゴルフ場 → 

 

15:30ホテル八峰苑、温泉入浴 → 小淵沢駅(タクシー)、17:19発(あずさ56号)19:21新宿着 or 17:40発(スーパーあずさ28号)19:36新宿着 

 

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しかし、途中ルートが若干変更になった。

 

 

青年小屋(山小屋)から権現岳までは1時間30分、高低差約400mである。

 

だいたい登るスピードは、330m/時間なのでかなりの急坂でる。

 

しかも途中は手も使って登るところや鎖場のある危険な岩場だったのである。

 

ここ登るのはまだいいけど、どうやって降りたらいいんだ?と皆不安になった。

 

とりあえず下りることは考えないで登ることだけに集中しようということになった。

 

危険な岩場を過ぎると、ほっとできるような道幅のある程度あるところもあるので張りつめた緊張感から解放される。

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こんなことを何度か繰り返すうちに権現岳の頂上下にある権現小屋の間近までやって来た。

 

すでに素晴らしい景色である。

 

権現小屋で5分ほどの休憩をとり、権現岳の山頂へ。

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権現岳は昨日の編笠山とはえらい違いで人一人が登れるだけの岩であった。

 

 

山頂で別世界にいるようなドキドキと満足感を味わった後、下山という現実に引き戻さ頭の中は恐怖感で満たされた。

 

当初の予定では、来たルートを青年小屋まで戻りそこから西岳を登ってから下りるのであるが、地図でルートを確認すると戻らずとも下りられるもうひとつのルートがあった。

 

他の多くの登山者もそちらのルートから下りるようであった。

 

僕らは多数決でルートを決めることになったが、5−0でもうひとつのルートに決まった。

 

みんなホッとし表情が明るくなった。

 

 

下山途中の休憩ポイントで少し早めの昼食をとった後、一人で来ていた登山者を交えての下山となった。

 

彼の名は、くまちゃん。

 

勝手に僕らが付けた名前である。

 

なぜ?くまちゃんなのかというと、リラックマのぬいぐるみを片手に登山を楽しみ、至る所でリラックマの写真を撮ってブログを書いているという人だからである。

 

今回の僕らの行程とくまちゃんは同じ行程であり、青年小屋でも見かけていたのであるが、まさか昨日撮った写真にまで写っていたとは東京に戻って来るまで分からなかった。

 

実は、第二章の1枚目の写真の左下に写っている青い帽子の彼がくまちゃんなのである。

 

そして、ほとんど何が写っているのか判別できないが、小脇にかかえているのはリラックマなのである。

 

ちなみにくまちゃんのブログは、『 白き風 くま 』で検索すると出てくる。

 

今回の八ヶ岳はまだアップされていない。

 

プロフィールを見ると、のんびりした人と書いてあるが、ちょっとのんびりしすぎてはいないか・・・

 

 

無事、昨日のスタート地点の観音平に戻ってきたのは14:00頃だった。

 

途中で電話して頼んでおいたタクシーが間もなくやって来て、くまちゃんも乗っけて温泉へと向かった。

 

下山のルートが変更になったので温泉も変更となり、小淵沢の道の駅の隣にある『 延命の湯 』に浸かった。

 

権現岳の登山道でだいぶ命を削る思いをしたので、ちょうどいい温泉だった。

 

その後くまちゃんと別れ、くまちゃんはサントリーウイスキーの白州蒸留所へ工場見学へ行き、僕らはシャトルバスで小淵沢駅に向かった。

 

駅前のお土産屋で僕は赤ワインのハーフボトルを買った。

 

次回のワイン会はイタリアワインの予定だが、これを追加しようと思った。

 

 

帰りの電車は、17:40発のスーパーあずさ28号なので、それまでの約1時間はそば屋での打ち上げとなった。

 

定食屋とそば屋があったが、『 山に来たらそばでしょ!』ってことで全員一致でそば屋に決定した。

 

煮込みやおしんこ、そしてまたまた昨夜のスケさんの寝言をつまみにしながらビールの大瓶がどんどん空いていく。

 

身体を動かした後のビールはなんとも美味い。

 

そろそろ〆ようということで、マサシがもりそばを注文した。

 

続いてセリナさんももりを頼んだ。

 

そして次に耳を疑うような一言がスケさんから発せられた。

 

『 カレーうどん! 』

 

「 えっ!?、さっきあんだけそばって言ってたじゃん! 」

 

『 いや、カレーうどんが美味いんだって! 』

 

てことでスケさんはカレーうどんを頼んだ。

 

サザさんも肉うどんを頼んだ。

 

この兄弟へんなとこで仲がいい。

 

そして僕はつられることなく、もりを頼んだ。

 

 

小淵沢駅のホームに着くと登山や観光を楽しんだ人たちが大勢いた。

 

帰りは指定席だが、みんなバラバラの席だった。

 

2時間足らずで新宿に着くのだが、帰りの電車ほどありがたいものはない。

 

満腹の胃の腑とアルコールの回った頭と疲労した筋肉のおかげでぐっすり眠って帰れた。

 

来年は八ヶ岳最高峰の赤岳に挑戦するのである。

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八ヶ岳 〜第二章〜

'13/10/29 (Tue)

頂上ゴハンほど美味いものはない、と思う。

 

しかもここは360°の大パノラマなのである。

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僕の昼飯は711のおにぎりと味噌汁とアフターのコーヒーである。

 

5月に奥多摩の鷹ノ巣山でバーナーを使っている人を羨ましく思い、早速買って、7月の尾瀬で筆おろしをした。

 

そして今回が2回目なのだが、やはり経験が浅く操作する手つきが何ともぎこちないもので、火傷とまではいかないが非常に熱い思いをした。

 

そんな思いをして入れたインスタント味噌汁とおにぎりの相性は間違いなくバッチリで、食後のコーヒーもまた格別だった。

 

 

さすがに2500mを越えるとだんだんと身体が冷えてくる。

 

ゆったりと昼食を済ました後、僕らは今夜お世話になる山小屋へと向かった。

 

頂上からは15分ほど巨岩の上をピョンピョン降りて行ったところにある。

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チェックインは14:30過ぎ、のんびり山小屋時間を満喫しようというのはスケさんの提案だった。

 

山小屋には宿泊客が自由に使える水は無く、歩いて5分ほどの所にある『 乙女の水 』という水場に汲みに行くのであるが、チョロチョロしか出てないのでこれがまた一苦労で、戻って来るまで1時間もかかった。

 

 

16:00、部屋でお待ちかねの宴会が始まった。

 

持ち寄ったお酒は、焼酎を500のペットで3本、ウイスキー(ジョニ黒)を500のペットで1本だった。

 

酒持って来すぎ!!

 

マサシは下戸なのにウイスキーをストレートで行き、その直後落ちた。

 

下戸なのによくやったと僕は感心した。

 

 

十分に酔っぱらって食堂になだれ込み夕食を平らげ、またそこで残りの酒を持ってきて21:00の消灯まで宴会が続いた。

 

 

23:30誰かの声で目が覚めた。

 

 

『 もういい。 もういいって。』

 

( な、なんだ?今の。)

 

『 だからもういいって・・・ 』

 

( スケさんの声だ。 寝言?)

 

『 もう食えないよ・・・ 』

 

(何か食ってる夢見てんだぁ。何食ってんだろ? 聞いてみたいな! でも、寝言言ってる人に話かけちゃいけないんだよな・・・)

 

『 ホントもう食えない。 もういいよ・・・ 』

 

( クックックックッ、超おもしれぇ! だ、だめだ、声出そう!)

 

 


他の3人、サザさん、セリナさん、マサシも起きてるようで、みんな必死に笑いをこらえているのがよく分かる。

 

 

その時、隣の部屋の障子がガタッと大きな音を立てて閉まった。

 

 

『 うわっ、誰か入って来た! 誰か来たよ! 』

 

(クックックッ、誰も入って来てないよ! 隣だよ隣! でも今の寝言か?)

 

『 ・・・ 』

 

(いや、今のどう考えても起きてる時の声だよなぁ・・・)

 

『 もういいって・・・ 』

 

(やっぱ寝てるわ)

 

 

ようやく治まったのでやっと寝れると思ったが、興奮が覚めないのと誰かのイビキで眠れない。

 

眠ろう眠ろうと思っている間に起床の5:30になった。

 

 

朝の空気を吸おうと外に出てみると、大勢の人たちがご来光を待っていた。

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ちなみにご来光は富士山よりかなり左で上がるはずだが、みんな富士山から上がると思っているのか富士山の方を眺めていた。 

 

 

朝食のおかずは昨晩のスケさんの寝言だった。

 

 

7:00、権現岳を目指すべく登山がスタートした。

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(つづく)

八ヶ岳 〜第一章〜

'13/10/20 (Sun)

9/15,16の連休で八ヶ岳登山の計画があった。

 

そして台風が直撃することもほぼ確実となった。

 

14日に登山中止が確定し、急遽九十九里にサーフィンに行くことが確定した。

 

ケンイチとマサミと3人で海に行った後、僕はカツオとマグロを買って八ヶ岳に一緒に行くはずだったスケさん邸に乗り込んだ。

 

八ヶ岳の山小屋一泊登山が、埼玉県のスケさん小屋一泊宴会へと変わった。

 

 

 
それから1カ月後、八ヶ岳登山は10/13,14の連休に見事な晴天の下に行われた。

 

 

前日にスケさんからこういうメールが届いた。

 

『 明日の朝のあずさの指定席は取れなかった。我こそはと朝ならんでくれる方はいませんか? 』

 

なんじゃこりゃ!?、暗にオレに並べと言ってるだけじゃねぇか!!

 

 

 
当日6:20にJR新宿駅の9番線のプラットホームに着くと、7:00発あずさ1号の自由席の場所にはすでに何人もの列ができており我等5人の座れる余地などないと直感し、反対側の10番腺の7:15発の臨時のあずさの自由席に並んだのは僕が1番だった。

 

他に誰も並んでいないし後から来る人は9番腺に並ぶので、ここにホントにあずさが来るのか不安に思ったが、案内をどう理解してもここ10番腺にはあずさは来るのである。

 

僕の後ろにも何人かが並んだ頃、ようやくスケさんがやってきた。

 

スケさんに続くのはサザさん、セリナさん、そしてマサシ。

 

サザさんはスケさんの兄、セリナさんはサザさんの友達、マサシは僕の友達だ。

 

 

セリナさんと会うのはこれが3回目で、前回はひと月ほど前にスケさんと3人で斉藤和義のライブに行った。

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斉藤和義はめちゃくちゃカッコよかった。

 

『 無意識と意識の間で 』 という曲がライブで聴けたのには全身がシビレた!!

 

ちなみに僕は斉藤和義の大ファンである。

 

 

早起きというか不眠というかで早くから並べたおかげで、5人みんな座って行けることになった。

 

もちろん僕は寝た。

 

あずさは予定通り2時間15分後に下車駅である小淵沢駅に到着した。

 

登山口の観音平まではスケさんが予約しておいた9人乗りの大型タクシーで運んでもらったのだが、途中スケさんとサザさんの兄弟喧嘩が勃発した。

 

 

途中の711で買い物をした後、サザさんがなかなか戻って来ない。

 

スケさんがシビレを切らし車を降りて店に戻ってみると、タクシーではメーターがバンバン上がる中、サザさんはのん気に靴のヒモを結んでいたのだった。

 

 スケさん激怒!!

 

 『そんなの後でやれよ!!』

 

 

兄弟喧嘩も沈静し無事僕らは登山口である観音平に到着した。

 

10:15ほぼ予定通り登山がスタートした。

 

初日は3時間30分かけてこの場所より1000m高い編笠山を目指す行程である。

 

先頭はセリナさん、続いてスケさん、サザさん、マサシ、しんがり(最後尾)は僕である。

 

30分もすると元山岳部らしいセリナさんのハイペースには誰もついて行かず、しかしこれは最初から想定内であり放っておくことに決まっていて、セリナさんは単独一騎駆けとなった。

 

 

これには去年の雲取山登山の痛い反省があった。

 

今回急遽不参加となってしまった大ちゃんが去年雲取山で還暦を過ぎたにも関わらずハイペースで飛ばし初心者の僕がそれについて行ってしまったため、僕ら4人のパーティー(あとの2人はスケさん、サザさん)は二分され、僕はあとでスケさんにこっぴどくしかられたのである。

 

ハイペースで行きたいやつはしょうがないが、それにはついて行くな、ということだった。

 

というわけで、今年は僕がしんがりを務めることになったのだった。

 

 

1時間ほど登ると雲海展望台という休憩ポイントがあり、そこで水とエネルギーを補給した。

 

今年は去年好評だったドライパイナップルと7月の尾瀬で持っていったドライジンジャーと今回お初のドライマンゴーを持ってきた。

 

ドライパイナップルについては去年と同じなので省略するが、ドライジンジャーは乾燥生姜の砂糖漬けで生姜独特の爽やかな辛味と砂糖の甘さが絶妙な美味さで、ドライマンゴーは生より酸味が効いていて僕はこの味が大好きなのである。

 

そしてここは富士山の見える展望台だった。

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次に目指すは押手川というここから1時間登ったところにある休憩ポイントで、予定通りの休憩をし、あとは1時間30分の登山で編笠山の頂上に到着になる。

 

登り始めからずっと薄暗い樹林帯の中だったが、高度が上がって森林限界のあたりで天は雲一つない青空になった。

 

途中最後の休憩案も出ていたのだが、先頭を行ったセリナさんが腰を下ろしている姿を見ることはなかったので、どうやら一気に頂上を目指したらしいということをマサシ、そのあと少し遅れたスケさん、サザさん、そして僕は確信した。

 

頂上というのは到着してみないと分からないものだが、あそこが頂上だろうと予想するにはそう難しくないところまでやって来た。

 

そしてついに頂上に立った。

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明日は後ろに見える右の山に登るのである。

 

(つづく)

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'13/8/10 (Sat)

約2カ月間の沈黙を破り、久々のブログ更新となりました。


久しぶり過ぎて何を書いていいやらアイデアが浮かばないことに苦しんだあげく、デジカメで撮った写真を眺めていたところ、今回は写真だ!と思い、写真にちょっとしたことを書き添えてみることにしました。

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甲府駅前にある武田信玄の像。

 

天下を取ったあの徳川家康が若かりし頃、武田軍に追われてあまりの怖さに馬上でウンコをもらしながら逃げ帰ったというほど信玄は恐ろしかったそうです。

 

ちなみに甲府へは鍼治療を受けに行きます。

 

次回は11月で今年3回目です。

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富士宮の浅間大社で、富士山頂上にある浅間大社の本宮です。

 

今年1回目の弾丸ツアーは、御前崎でのサーフィンでした。

 

あいにく天気は最悪の土砂降りで、夜明け前に着いたにもかかわらず、ぜんぜん明るくなって雨が落ち着いてからの入水、しかも気分が乗らず1ラウンドで終了するという始末。

 

写真も撮らなかったほどのローテンション。

 

しかし、スモールサイズながらもショルダーの張る波で、いつもの千葉とは違った味わいがありました。

 

帰り路、富士宮に着く頃には雨も上がり、お参りを済ませてお目当てのB級グルメ大賞の富士宮焼きそばへ。

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はしごしてもう1皿平らげた後(2軒目が写真を撮り忘れる程めちゃくちゃ美味かった)、温泉に浸かって疲れを癒しました。

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オッシュマンズのサーフィン売り場で見つけた不思議な物体。

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なんじゃこりゃ?

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お〜! 思いついた人、天才!!

サーファーじゃないとこのハンガーの意味分からないと思いますが・・・

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今年2回目の弾丸ツアーは、尾瀬&至仏山トレッキングでした。

 

テレビや写真で何度も見た景色に自ら立ってみると、そこには感動がありました。

 

至仏山は、登山本の入門編に出てくる山なので登るまではナメてましたが、ところがどっこい、ぜんぜんハードな山でした。

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途中、後ろを振り返るとさっきまでいた尾瀬ヶ原が、山の緑とくっきり分かれて際立って見えます。

 

まるでゴルフコースのよう。

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今回の登山にあわせてバーナーを購入し、山頂では味噌汁とコーヒーを楽しみました。

 

温かいものはホントありがたいです。

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山頂でのひとときを終え、下山途中後ろを振り返るとそこには至仏山が。

 

当たり前です、違う山があったら大変なことです。

 

ちなみに白いところは雪です。(7月7日)

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近頃は地ビールじゃなくクラフトビールと呼ぶようになってきているそうです。

 

そして、なんと近所のスーパーにあの『よなよなエール』が!!

 

http://yonayonaale-store.com/products/list2.html

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いただきものですが、いままで飲んだ芋焼酎で一番美味かった。

 

あまりの美味さに自分の舌が間違っているんじゃないかと思い、近所のスーパーへ走り、同じ紫芋を原料とした焼酎をゲット。

 

早速飲み比べましたが、値段の違いはあるだろうけど、それ以上に赤兎馬の美味さがずば抜けていました。

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今年の夏はサーフィンしまくってます。

 

しかし先日、いやなものを見ました。

 

エイ怖い・・・

 

http://www.akgreen.jp/article/14089417.html

http://www.akgreen.jp/article/14095398.html

 

ちなみにこの日はエイに出会うことはなく、な、なんと ウミガメ に出会ってしまった!!

 

ん〜ラッキー

2013初登山 (後篇)

'13/6/18 (Tue)

1週間前に今回の登山計画をメンバーにメールした。


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4:52 亀戸→お茶の水→立川→青梅→奥多摩(7:17着)

 

7:25 東日原行バス(24分、450円)

 

8:00鷹ノ巣山登山スタート → 9:00稲村岩 (休憩10分)→ 10:30(休憩10分)→ 11:30鷹ノ巣山登頂 

 

11:30昼食50分

 

12:20下山スタート → 13:50六ツ石山登頂(休憩20分)、14:10出発 → 

15:30(休憩10分)→ 16:40(休憩10分)→ 17:40奥多摩駅到着

 

 

登山:1100m

3時間30分、休憩込み

 

 

下山:1400m

5時間20分、休憩込み

 

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前回のブログでは、4:52〜8:00までの出来事だった。

 

そして今回の(後篇)は、17:40奥多摩駅到着までの話である。

 

 

木漏れ日が降り注ぐ登山道を先頭はマサシ、つづいてケンイチとマサミ、しんがりは僕といった具合で熊よけの鈴をチリンチリン鳴らしながら進んで行った。

 

後で気がついたのだが、登りのマサシのペースは『 オレがガイドブックだ! 』と言わんばかりのガイドブックに忠実なものであった。

 

ちなみにガイドブックが基準としているのは、4、50代の登山経験者の平均的ペースであり、心肺に負担をあまりかけず、発汗もなるべく抑えた理想的なペースなのであろう。

 

さすがは近年海をほったらかして山ばかり行っているマサシの脚である。

 

しかしながらライフワーク?が若づくりである僕にはいささか物足りぬペースで、途中前を行くマサミに何度もぶつかりそうになり、そのたびによろけそうになった。

 

しかし、本当によろけてしまっては大変なことになるのがこの奥多摩なのである。

 

毎年数人が滑落して命を落としているそうなのである。 

 

 

突然遠くでサイレンが鳴り始め、そしてアナウンスが入った。

 

内容は、この日原方面にレスキューが出動したとのことだった。

 

しかし、僕らが登っている鷹ノ巣山でないことはほぼ確かである。

 

しばらくするとヘリコプターがバリバリ音を立てながら飛んできた。

 

無事であることを祈った。

 

 

途中一人でやってきた山ガールに抜かれ、その差は開く一方だった。

 

僕らが遅そうに思うかもしれないが、彼女が相当に速いのある。

 

 

1時間ほど登り、予定通り稲村岩という巨大な岩に到着した。

 

岩に登って皆思い思いの場所で休憩、僕は水とドライパイナップルとチョコで疲れを癒した。

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休憩を終え、岩を下りるのだが、これがまた一苦労であった。

 

僕は下りる時に妙な怖さを感じるのである。

 

そんな具合だから進路の選択もイマイチでへっぴり腰の危なっかしい下り方のであった。

 

 

岩を下り再び山道を登り始めた。

 

スタートから稲村岩までがこのコースでは一番の急登なのでここから先は若干楽になるのであるが、地図を見る限りは詰まった等高線をぶった切っていくコースなのである。

 

途中下山してくる人たちと道を譲りあった。

 

ずいぶんと早い下山に驚いたが、雲取山から来たというので倍驚いた。

 

1時間半ほど経ったのでやや開けたところで予定通りの2回目の休憩をとった。

 

 

休憩を終え再び登り始めた。

 

残すところはあと1時間である。

 

頂上はまだか?!とケンイチがうるさい。

 

あの先が頂上じゃん!?と先頭を行くマサシが答えるも、そこまで行ってみるともうひと山あるのである。

 

マサミは黙々と登り、そんな問答が何度か繰り返えされる中、30分ほど経ったあたりでケンイチがへばった。

 

いつ休むの?、今でしょ!、といった具合に予定にはなかった3回目の休憩をした。

 

 

ケンイチも復活し、きっとあそこが頂上だと僕ら全員が思えるところまで登ってきた。

 

そして、登頂。

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ん〜やっぱ頂上はいい。

 

空に浮かんだような富士山がなんと、美しいことか!

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僕の昼メシは711のおにぎりだが、山で食うおにぎりは最高に美味い。

 

そして、富士山を眺めながらの昼メシはまた格別だった。

 

中にはバーナーで肉を焼いている人までいた。

 

ちょっとうらやましく思ったので次回はバーナーを準備してこようという目標がこの瞬間にできた。

 

頂上はさっきの山ガールや僕らより早く着いた人たち、雲取山方面から来たであろう人たちの合計10人ほどがいた。

 

そして後からも10人くらいがやってきた。

 

みな思い思いの昼メシを済ますと順に山を下っていった。

 

僕らも胃の腑が満たされてまったりし過ぎないうちに下山に行動を移した。

 

 

下山ではポールを使う。

 

僕以外はみんなリッチにダブルポールだった。

 

途中六つ石山に登って2つ目のピークを制覇し下山が縦走に変わった。

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奥多摩駅到着は予定より1時間ほど早い16:30だった。

 

僕らは16:58発のホリデー奥多摩6号に缶ビールを片手に乗り込み、吉祥寺の焼肉屋を目指した。

2013初登山 (前篇)

  '13/5/24 (Fri)

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冒険家の三浦雄一郎さん(80)が史上最高齢でエベレスト登頂に成功したほんの数日前、治療家の僕は友人3人と奥多摩の鷹ノ巣山登頂に成功した。

 

 

予定の早朝4:52の総武線に乗り込むと、そこには予定通りケンイチがいた。

 

マサミからメールがあり、5:35に合流するとのことだった。

 

お茶の水で中央線に乗り換え、吉祥寺でマサミが乗ってきた。

 

残るはマサシであるが、全然連絡がない。

 

 

立川で青梅線に乗り換え、僕の右隣に後から座った男の体臭が僕の空腹感を一瞬のうちに消し去り、この体臭にどこまで耐えればいいのか不安に陥った。

 

マラソンを完走できたおかげで自分でも相当な忍耐力がついたと自覚していたが、あっけなく負けそうである。

 

幸いにも福生で降りてくれたので、僕の鼻も忍耐力も傷つけられる前に事は終わった。

 

左隣のケンイチに体臭のことを言うと、全く感じなかったという。

 

運がいいのか、鼻が悪いのか。

 

 

 

沈黙していたマサシからメールがきた。

 

どうやら僕らの電車より1本前の電車に乗っているという。

 

最終乗り換え駅の青梅で合流ということになる。

 

今回マサシはナナオを連れてこなかった。

 

理由は、美脚だが健脚ではないので奥多摩の山は厳しいというものであった。

 

 

青梅で4人そろい、電車を乗り継ぎ奥多摩を目指した。

 

まだ30分以上かかるので僕は朝食を摂った。

 

あのゲンナリする体臭から解放され空腹感も蘇ってきていたところだった。

 

朝食はクリーム玄米ブランで、ブルーベリーとカカオとクリ―ムチーズを用意してきた。

 

チョコレート好きの僕はまずカカオから攻めクリ―ムチーズに展開したが、飽きるのか腹が満たされるのかクリームチーズは半分残した。

 

 

7:17予定通り電車は終着駅である奥多摩駅に到着し、ここからはバスで鷹ノ巣山登山口のある東日原まで約30分乗っていくのである。

 

バスはほぼ満席で、ケンイチは運良く席にありつけたが、僕ら3人は半数くらいの人が降りる途中の川乗山登山口まで吊革から手が離せなかった。

 

途中から席にありついた僕は、昨夜4時間も寝ていないせいか柔らかな朝日が差し込み山道で揺れる車内が気持ちよかったのだろうか数分だがウトウトしていた。

 

終点の東日原で下車し、登山口までテクテク歩いた。

 

 

車道から直角に登山道に入ると下りがつづく。

 

どんどんつづく。

 

どこまで下りるのか不安になった。

 

というのは、水の流れる音が聞こえるからである。

 

言うまでもないが、水はその辺りで一番低いところからさらに低いところを目指して流れるのである。

 

目指す山はまだ見えぬ川の向こうにあるのは間違いないので、川を渡ることになるのだが、問題はどういう橋を渡るかである。

 

吊り橋を期待したが、地図やガイドにはそんな話はなかったという確かな記憶がある。

 

では、川の両岸から架けられたごく普通の橋なのか、いや、そもそも橋などないのかもしれない。

 

あれこれ想像しているうちに川まで下りてしまった。

 

そして両岸から架けられたとてもシンプルな渓流の橋が目の前にあった。

 

今回の鷹ノ巣山登山、まずは下りるとこから始まった。

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髪とドライヤーとジェル

'13/4/24 (Wed)

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ボウズをやめて変わったことといえば、周りの反応です。


『 もったいない 』 とか 『 ボウズのほうがよかったのに! 』 とか 『 いかつさが消えて親近感湧く! 』 などいろいろありました。


髪を切って 『 もったいない 』 なら分かりますが、伸ばして 『 もったいない 』 と言われると、また切りゃいいのだけなのにと思ったのですが、感情で発せられた言葉に理屈で返すのはどうかと思って、 『 もったいないですか〜 』 と返すのが精一杯でした。


先日なんかは 『 ボウズのほうがよかったのに! 』 と言ってた2人の患者さんが2人とも『 伸ばした髪もいいわね! 』 と言っていました。


見慣れれば不思議とというか自然とというか、何も引っかかることなく馴染めるということなのでしょか。

 

 

しかし、一番の変化というのは、シャンプーとリンスとドライヤーを買ったことです。

 

ボウズの時は、顔面含め体すべてが石鹸1つと自然乾燥で事足りてましたが、今はそうはいかないのです。

 

2カ月経った今ではそういったことは無くなりましたが、はじめの頃はシャンプーが手元にあるにもかかわらず、以前のなごりで石鹸を付けた手で髪をグシャグシャとやった瞬間に間違いに気付くのでした。

 

 

ドライヤーはヨドバシカメラで買いました。

 

一番安いのを選んだのですが、1ヶ月も経たないうちに異臭を発して壊れました。

 

早速壊れたドライヤーをお店に持っていくと、店員さんがチェックし、変な臭いがしますねぇと言った後、同じ物に交換でも返金でもどちらでもいいですと言葉が続きました。

 

僕は迷わず返金を選択し、新しい別のメーカーのドライヤーを買いました。

 

壊れたのとたった¥250高いだけですが、風の出方が全然違うのです、マイルドな風がとても気に入ってます。

 

 

そうそう、ジェル(ドライヤーよりも高価)も買ったのですが、毎朝シャワー浴びて半乾きの髪にジェルつけてドライヤーでセットして、これがなかなか楽しいのです。

芸術

'13/3/29 (Fri)

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先日、上野の東京都美術館でエル・グレコの絵画を見てきました。

 

日本が信長だの秀吉だのが野山を駆け巡って刀や槍や火縄銃で戦っていた時代にこのようなものが描かれていたと思うとヨーロッパがいかに進んでいたのかを想像することは容易に思われます。

 

それにしても彼の感覚がすごいのか、はたまたそれを表現できる道具がすごいのか。

 

当時の日本人がこれを見たらド肝を抜かれていたことと思います。

 

というか現代人である僕もあまりのすごさにド肝を抜かれました。

 

 

科学技術は日々進歩し、こんなことが出来るようになった、とか、こんなことはやらなくていいようになった、とか、どんどん便利になっていきます。

 

そして、たった数年前の科学技術でさえ過去の遺物と化し忘れられ相手にされなくなるのです。

 

でも今と比べると何もかもが不便だったであろう500年も昔に描かれた絵画に古さなど感じることなく今なお人を魅了しているというのはどういうことなのでしょうか。

 

それが芸術だと言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが。

 

兎にも角にも見てきてよかったです。

初マラソン

'13/3/26 (Tue)

2011/10/10  41歳と6カ月、ランニングを始めた。

 

2013/ 3/24  42歳と11カ月、フルマラソンを完走した。

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2/24からのこの1カ月はかなりのストレスを背負った状態でした。

 

練習不足に加え、右脚のコンディション不良と不安要素は十二分にあるものの自信などはかけらもないのです。

 

それでもなんとか2/17以降はちょっと明るい兆しが見えてきました。

 

というのは、前2週間の休養とメンテナンス、セルフマッサージとストレッチで意外に盲点だったある筋肉のコリをとり、さらに整体を受けて骨格の歪みをとり、〆は自分で鍼とお灸。

 

これらで右脚の状態がずいぶんと良くなりました。

 

しかしながら、前日の土曜日の仕事は死ぬほど忙しく、結句右脚の張りが戻ってしまったのです。

 

 

ちなみにうちの治療院は死ぬほど忙しい時と、自殺を考えるくらい暇な時があります。

 

今こうしてブログを書けている状況はまさに後者の方ですが、ブログのことを考えているので、自殺は考えません。

 

 

レース前夜は、興奮して3時間も眠れませんでした。

 

しかし余裕を持って起きたので、最後の鍼治療ができました。

 

走る前に鍼をしておくとかなり効果があるのは今まで何度も経験していることであります。

 

 

会場は茨城県古河市というところで、JR上野駅から宇都宮線で1時間ほどのところです。

 

車内は乗客の50%くらいがランナーで占められていました。

 

スタート2時間前には朝食を済ますので、普段は摂らない朝食をこの日は車内で摂りました。

 

朝食は昨夜買いそろえた物ですが、大福を買い忘れていました。

 

ガーン!

 

どうも僕には走る前はあんこが合うようなのです。

 

しかも、あんぱんではなく大福がいいようなのです。

 

ないものはどうしようもないので、仕方なくカロリーメイトとクリーム玄米ブランみたいなもののプライベートブランドバージョンを食べました。

 

そして、レース30分前にもアミノ酸とエネルギーゼリーを補給しておくのです。

 

 

この大会は古河はなももマラソンというレースで今回が記念すべき第1回です。

 

レースが始まり、僕がスタートラインを通過するまで2、3分かかりました。

 

そしてそこには谷川真理さんがみんなを応援していました。

 

先月横浜のハーフマラソンに出た時は、5、6分かかったので今回はまずまずの位置だったと思います。

 

 

この日のいでたちは、UAのTシャツとベスト、ASICSのアームウォーマー、この内側にはエネルギーゼリーと塩飴を左右それぞれに忍ばせてあります。

 

下は、Mont−bellのアンダー、CWXのランニングタイツ、この内側にもエネルギーゼリーを一つ忍ばせ、そしてTABIOのソックス、BROOKSのシューズです。

 

 

スタートして10km、やはりこの1カ月感じていた右足の張りを感じました。

 

ヤバイ・・・

 

やっぱりそうか・・・

 

頼むから走り切らせてくれと祈りました。

 

この抱えた爆弾が爆発したら走りをやめて歩くことなるので、目標の4時間切りは次回の目標となり、今回の目標はとりあえず完走ということになるのです。

 

恐る恐るの走りが続き、給水所で水分を補給し、1時間経過したところで梅味のゼリーを食べエネルギーを補給し、15km地点で塩飴でミネラルを補給しました。

 

 

しばらくすると今度は胃に異変を感じました。

 

お腹からタプタプ音がするのです。

 

それほど給水所でも口を潤す程度の水分しか摂ってないので、胃に水があるとはどうしても考えられなく、隣のランナーか?とも思いましたが、隣のランナーのお腹の音が聞こえるなどというバカな話はないと冷静に考えると、やはり自分のお腹の音なのです。

 

あっ!、さっきの塩飴だ!、と思いました。

 

ゼリーやらを買いに行ったときショップの店員さんに2つある塩飴はどちらにしますか?と問われ、決めかねていると、塩分の多い方はこっちですね、と言われ多い方を手にとった記憶が蘇ってきました。

 

そんないきさつがあったのですが、その2つの塩分の違いが問題なのではなく、塩飴自体を摂ったことに問題があったのです。

 

胃の中の塩分濃度が高くなり、体内のリンパが胃に逆流しているのだと思いました、というかそれしか考えられないのです。

 

まずい・・・

 

下痢するかも・・・

 

 

ひとまずお腹が痛くなるとかいったことはなく、いつの間にかタプタプ音もなくなり、とりあえず吸収されたんだなと思い安心しました。

 

しかししばらくすると、今度は冷や汗のような脂汗のような変な汗が出てきたのです。

 

とたんにペースが落ち、どんどん周りのランナーに抜かれていくのです。

 

そうか!、この変な汗はさっきのタプタプだ!、と思いました。

 

さっきは胃内、今度は体内(医学的に胃内は体外なのである)の塩分濃度が上がり過ぎ、どんどん汗として排泄しているのだと思いました。

 

ペースが落ちたことより、自分の体が心配になりました。

 

どうなっちゃうんだろう・・・

 

しかし、20kmも走ってこれだけ冷静に考えられているので頭は大丈夫だと確信しました。

 

 

だいたい2時間が経過したのでまたまたゼリーでエネルギーの補給です。

 

そして給水所では、スポーツドリンクではなく水の補給です。

 

もう塩はいらない!

 

 

そう、もう塩はいらないのですが、左腕のウォーマーの中にはなんともう一つ塩飴が・・・

 

当初の計画では30km地点で補給の予定だったのです。

 

さっきいっぱい汗かいたしなぁ、ひょっとしたら逆に足りなくなってるかもなぁ・・・

 

子供の頃から食べ物を残してはいけません、と教えられ育った僕は暗示でもかけられたかのように塩飴を口に放り込んでいました。

 

その後すぐにイヤな予感がし、すかさず塩飴を吐き出しました。

 

暗示から解放され、正気に戻りました。

 

 

30km過ぎになるとコースの端っこを歩いている人が増えてきました。

 

僕も30〜42.195kmという未知の世界の中でもあり、歩きたいくらいの苦しさの中にいました。

 

歩いている人を見ると、歩いたら楽だろうなぁと思ったりもしましたが、練習の皇居ランで歩いた時のことを考えたら今はとても歩くことなど出来ないと思いました。

 

皇居ランでは右脚の痛みが限界で苦汁の思いで歩きましたが、今歩いたら単なる根性無しです。

 

周りの歩いている人だって歩きたくて歩いているのではないのでしょう。

 

本当は走りたいのだと思いました。

 

マラソンは自分との戦いだということを身をもって感じた瞬間でした。

 

 

前半と較べるとかなりペースは落ちましたが、今のペースでいけたら4時間切りが実現しそうだと思えてきました。

 

3時間を経過する少し前にタイツの中に忍ばせた最後のゼリーでエネルギーを補給しました。

 

これは前の2つとは違い、カフェイン入りの頭がシャキッとする覚醒作用のあるゼリーです。

 

カフェインを効かすために3日前からコーヒー断ちまでしました。

 

そしていざ口内に注入すると、まずっ!、あまりのまずさに驚きです。

 

ショップで味見した時は爽やかな感じだったのに今は全然違う味で、不気味に感じつつも完食。

 

 

35kmくらいだったしょうか、突然右脚の違和感が無くなりました。

 

ちょっとペースを上げてみようかと思い、実際そのようにしてみると意外やまだまだ走れるのでした。

 

38kmあたりからは追い抜くくらいになっていました。

 

苦しいには苦しいのですが、思ったほど疲れを感じていなかったのはエネルギーの補給がうまくいってたのかもしれません。

 

レースもほぼ終わる40km地点のタイムは、3h41’です。

 

ペースも全く落ちません、むしろ上がっているのです。

 

4時間切りの目標達成は間違いないと思いつつも油断は出来ない、前半のことを思うと何が起こるか分からないのがフルマラソンだということを噛みしめ走り続けました。

 

運動公園に戻ってくると、またまた谷川真理さんがみんなを励ましてました。

 

そして陸上競技場に入りトラックを3/4周ほど走ってGOALを迎えました。

 

 

地面に腰を下ろした時、自分に感動しました。

 

ものすごく感動しました。

 

そして、有森裕子選手の名言が頭をよぎりました。

 

『 自分で自分を褒めてあげたい 』

 

大袈裟に思うかもしれませんが、僕もそんな気持ちになりました。

 

フルマラソンを走りきってこその味わいだと思いました。

 

これからしばらくは楽しく皇居ランできそうです。

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'13/3/5 (Tue)

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皇居ラン7周の予定が5周目、だいたい21km地点にして脚の痛みが最高潮に達して走れなくなり、歩きを交えての5周完走?という情けない結果に終わってしまった。

 

タイムは脚が止まった時のものである。(5周完走?は、2h20’06”)

 

そして、先週のリベンジにと昨日6周をノルマになんとかそれを達成してきた。

 

ひとまず24日のフルマラソンの向けての準備が1つ終わった。

 

 

ひと月前のハーフマラソンの結果に満足し、調子に乗ってどうやらフルマラソンを甘く見ていたようである。

 

しかし目標は変えない。

 

初マラソンで4時間切りを目指す。

 

この時点でもまだまだ甘く見ているのかもしれないのではあるが、なぜそう思うのかは皇居6周走ってみた実感である。

 

2つほど不安要素がある。

 

 

どうやら僕は右足首に爆弾を抱えているようなのである。

 

先週のランで起こった痛みが昨日のランでも起こったのだ。

 

どうしてこうなのかとあれこれ思いを廻らしながら走っているとある推定に至った。

 

このまま走っていたら結句また歩くことになると思ったので、いったん止まって足首の関節を治してまた走ってみた。

 

すると痛みが激減し、その推定は断定へと変わった。

 

そして、そうなる原因は2年前の捻挫の後遺症という結論に至った。

 

整体(骨格矯正)をやっているおかげでこういったことが分かり、治してまた走ることが出来たのである。

 

芸ではないので、業は身を助けたのである。

 

 

それからもっともなことなのであるが、30km〜42.195kmまでの経験がないのである。

 

昨日の30k走ではコンディションが良くないということを考慮してあげたとしても、想像も及ばなかったほどにヘトヘトにへばった。

 

タイムがそれを物語っている。

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しかし、ランステに戻った後、馴染みのスタッフに 『 タイムの良し悪しじゃない。レース前のこの時点で力を出し切っておくことが大切。』 と言われた。

 

この一言が不安要素を2つも抱えた僕にとってかなりの救いとなった。

 

 

 

さて、こんな成り行きから24日はどのような結果になるか大体の想像はついた。

 

良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは、この約3週間のメンテナンスにかかっていると言っても過言ではない、とまでは言わない。

 

一応セラピストとしての自分の逃げ道も作っておくのである。

 

要するに初めてのことなので確たる自信がないのだ。

 

自信も経験もないからチャレンジなのである。

'13/2/19 (Tue)

「 ぜんぜん伸びてないじゃん。 」

 

僕が美容院に入るなりシュウゾウは言った。

 

店の奥からミチヨも出てきて同じ事を言った。

 

「 久しぶり!、ほんとぜんぜん伸びてない。 」

 

2人ともちょっと茫然とした様子だった。

 

僕も返す言葉に戸惑った。 

 

 

最後に6ミリのボウズに刈ったのは12月1日。

 

それから2カ月半経っている。

 

自分ではもう鬱陶しくて仕方がない。

 

前髪から襟足までどの部分においても推定5センチの長さの髪で頭が覆われているのである。

 

ちょっとしたヘルメットである。

 

 

シュウゾウにカットしてもらって足掛け23年になる。

 

最後にカットしてもらったのは8年前。

 

8年前に2回連ちゃんでボウズに刈ってもらった後、これからは自分でやれと言われバリカンをもらった。

 

自分のことは自分でやる、ということが1つ増えた。

 

それから8年間、1日と15日はボウズデーとなった。

 

 

先の12月15日、ボウズに出来なかった。

 

とうとう自分のことが自分で出来なくなった。

 

去年は一人でいることに限界を感じた一年だった。

 

 

1000円カットに行ってやってもらおうかと思ったが、自分でも出来るのにわざわざお金払ってやってもらうのもバカバカしく思い、いっそのこと髪伸ばそうと決意した。

 

早速、シュウゾウのお店に電話して予約を取った。

 

予約日の1週間くらい前から嬉しくてしょうがなかった。

 

そして当日、思いもよらぬあの一言が、まさに不意打ちのように僕の脳裏を突き抜けた。

 

 

「 どうする? 」

 

とヘアカタを渡され、パラパラと眺めていった。

 

「 こういう感じがいい! 」

 

「 それはちょっと無理。 」

 

2ブロックを希望したが、諸事情により却下された。

 

で、自然な刈り上げとなった。

 

8年ぶりにヘアースタイルを変えたわけだが、大満足である!

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'13/2/6 (Wed)

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先の節分の日、初のハーフマラソン大会 ( 神奈川マラソン ) に出場した。

 

 

スタートは11:30。

 

その15分前にはスタート地点に並ぶように言われているが、僕が並んだのはトイレの列。

 

10:30過ぎに一度済ましたのだが、なんだかこの後に及んで下半身がなんとなくモヤモヤ。

 

すごい行列のできるトイレで、多少は並んだもののスタートに間に合わないと判断し、スタート地点へ。

 

行ってみると物凄い人ごみ。

 

後ろに行ったら大変なことになる思い、途中から入れてもらったというか無理やり入ったというか、そんな感じで目標タイム2時間以内の集団の中へ入る。

 

 

パン!!とスタートのピストルが鳴った。

 

5、6分後にようやくスタートを切るも、のろのろと進むだけで身動きがとれない。

 

これがマラソン大会か!と肌で感じた。 

 

進んでいくにつれて少しづつスペースが出来てくる。

 

人ごみを抜けるのに必死なのだが、どこまで行っても抜けれない。

 

そして5kmを通過。

 

タイムは、25分35秒。

 

どういうわけだか予想よりもいいタイムだったが、人ごみが無かったらとしょうもないことを思ってしまった。

 

 

5kmを過ぎると折り返してきた先頭グループの大学生とすれ違う。

 

当たり前だがスピードが全然違う。

 

目標は来年の箱根かな?と想像した。

 

僕もだんだんとペースを上げることができた。

 

10kmの通過タイムは、48分8秒、この5kmは22分33秒で走ったことになる。

 

 

ハーフマラソンは21.1kmを走る。

 

その半分の10.5kmのときに時計を見ると50分xx秒だった。

 

目標の1時間30台が見えた!

 

 

ここまでだいたい5km毎に給水をしている。

 

口を潤す程度しか飲めないがこれが意外と大事なのだと思う。

 

 

15kmの通過は1時間11分28秒、この5kmは23分19秒。

 

とりあえずまだ目標達成圏内にいると認識できた。

 

そして、最後の折り返しを過ぎると応援ボランティアのおばちゃんが『あと5km頑張って!』と声をかけているが、『え!?5km?まだそんなに残ってる?』とちょっとやる気がダウンしたが、すぐ先のカーブを曲がるとおじちゃんが『あと4km!』と声をかけていて、『そうだよな!』と納得し、またやる気が出てきた。

 

おばちゃん!、どういうこと!? ... ま、いっか!!

 

 

15→20kmまでが一番きつかったように感じた。

 

 

20kmのラップをとると、1時間35分01秒、この5kmは23分33秒。

 

多少ペースが落ちたのではあるが、残りはあと1.1km。

 

目標達成は間違いないと思った。

 

 

最後は残ってる力をふりしぼった。

 

しかしちょっとしかペースが上がらない、と感じながら走っていた。

 

息は切れないのだが、足がいっぱいいっぱいになっているのがよく分かる。

 

それは足のバネが無くなっているのだ。

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1時間39分50秒で完走。

 

最後の1.1kmは4分49秒。

 

ぎりぎりで目標達成。 


あぶねぇ、あぶねぇ。

 

最後のガンバリがなかったら多分40分を越していたのだろうと思う。

 

そう考えると、最後のガンバリがとっても大切で、そこでガンバらなかったら20kmまでが無駄な努力、とまでは言わないが、きっと残念な気分か悔しい気持ちになっていたのだろうと思う。

 

まあ、偉そうにもそんなことが言えるのは目標を達成したからなのだろうと思うのだが。

 

しかしここはまだまだ通過点、目標はフルマラソンなのである。

 

 

スタートからゴールまで人をかき分けている間に終わったという印象。

 

マラソンは自分との戦いだ、というのを聞いたことがあるが、ハーフは他人との戦いだ、最後の6.1km、特に残りの1.1kmが自分との戦いだと思った。

 

 


第2部は、便座、いや、銀座のジョーズシャンハイという中華屋、いや、ハイセンスなChainese Cuisine のレストランでケンイチ、マサミ、ニッコ、ニッコの親戚のハッちゃん、その友人のオグチさんと上品なお味の中華料理を紹興酒のお燗で流し込んだ。

 

ほろ酔い気分で帰宅し、23:55にアラームをセット。

 

23:55まではどうあってもいいが、そのアラームで絶対に意識を取り戻さねばならない。


というのは先日、早稲田の穴八幡という神社で買った融通のお守りを節分の日の夜中0時に南の柱に貼らねばならないのである。

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そしてそのお守りは無事貼ることができた。

 

新年の行事がひとまず終わった。              

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'13/1/11 (Fri)

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1年を締めくくる大晦日は毎年恒例の波納めだった。

 

幼馴染のシュウゾウとは一年の内のこの日だけ一緒にサーフィンをする。

 

ロングボードの彼は波のデカさにちょっとビビっていた。

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初乗りも毎年恒例の1月3日だった。

 

いつもの仲間はまだ東京に戻ってきていないので、今年もお一人サーフとなる。

 

かなり水温が下がっていてブーツを履かない僕には随分とこたえた。

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1月6日はケンイチ、マサミもそろってのサーフだった。

 

天気も波も穏やかなサーフィンには向かない日ではあるのだが、サーフィンがなかったらずっとこんな日であったらいいと思えるような気持ちのいい朝だった。

 

 

僕のサーフィンライフ2013が始まった。

'12/12/27 (Thr)

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先一昨日ランニングシューズを新しくした。

 

昨年の10月に3日坊主で終わっても後悔しないようにサンキュッパで買った mizuno から思い切ってフラット着地走法を習得すべく brooks に変えてみた。

 

というのも店員さんの奨めによるものである。

 

 

新しいシューズをどれにしようか店員さんに相談していたのだが、奨めてくれた mizuno と asics のシューズの色が気に入らず迷っていたら、この brooks を奨められた。

 

タイムを基準にしたシューズ選びじゃなくてフラット着地走法をマスターするという基準で選んでみたら、というのである。

 

いずれスピードが上がってくればフラット着地になるから今からやっといても全然OK、ともいうのである。

 

そこで出てきたのがこの brooks なのだ。

 

ソールがフラットになっているので履いた感じが不思議なのである。

 

かなり極端な表現をすれば、後ろに倒れそうになる。

 

しかも mizuno に比べたらずいぶんと軽くフワフワした感じがする。

 

シューズは国産と思っていたが、迷わず購入してしまった。(諭吉っつぁん+ちょっとの支出)

 

 

これが2週間前に mizuno で出した皇居4周のタイム。 (2周は49’15”62)

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こちらが昨日 brooks で出した皇居2周のタイム。

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2周しかしないということと、サンキュッパの mizuno には負けられないという意地もあり、結果我ながら驚きの好タイムが出た。

 

このペースがあと2周続けられるかという問題が残るのではあるが。。。

 

 

思えば去年の今頃は、セラピストである自分がまさかなるとは思っていなかったランナーズニーに苦しまされていた。

 

痛みをこらえて走るという逆療法は全くの無意味、それどころか逆効果でどんどん悪化し、結句鍼灸マッサージを自分で施すといういいんだか悪いんだか分からない事態に陥り、最終的には友人にも鍼してもらって完治するに至った。

 

その後もきれいにもう一方の左膝もランナーズニーになったが、前回の教訓を生かし早急に治療をして前回程の苦しみは避けられた。

 

全てがカバーされるとは思わないが、ランニング前後のストレッチがいかに重要か思い知らされた。

 

 

2月の横浜でのハーフマラソンにエントリーをした。

 

当初は2時間以内を目指していたが、目標を大幅に修正した。

 

目指すは1時間30分台である。

 

よくぞこんなにも欲張りになったものであるが、まぁそれなりにやってきたという自負もある。

 

どんな結果になるか今から楽しみである。

'12/12/4 (Tue)

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ここまで綿密な計画を立てたにもかかわらず、

 

『 メンバーに送ったメール』

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だいたいこんな感じです。

 

京王新宿を6:07(快速)に乗ります。

 

北野で乗り換えて高尾山口に7:13着です。

 

 

マサミは明大前で合流かな。

 

マサシとナナオは中央線経由だと高尾で合流かな。

 

 

*登山*

 

高尾山口(7:30 標高190) → 高尾山頂(9:00 標高599)、休憩(20分)、9:20出発 →城山(10:20 標高670)、休憩(10分)

→ 影信山(11:30 標高727)、昼飯(30分)、12:00出発 → 堂所山(標高731)→ 明王峠(13:30)、休憩(10分) 

→ 陣馬山(14:40 標高854)

 

 

*下山*

 

陣馬山(15:10) → 陣馬高原下(16:10)、高尾駅北口行きバス(16:25、540円、38分) →→→ 都内で打ち上げ

or

陣馬山(15:10) → 一ノ尾根 → 陣馬登山口(16:30)、藤野駅行きバス(16:48、6分) →→→ 都内で打ち上げ

 

 

※ 朝飯は登山前か高尾山頂で、昼飯も持参のこと

 

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高尾山でカメラのバッテリーが切れるという失態をやらかした!!

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'12/11/29 (Thu)

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こないだの休みと言っても先週の日曜のことなのでだいぶ前の話になってしまうのだが、その日はケンイチ、マサミとともにサーフィンをやった。

 

勝浦まで南に下ったので海水は温かく、時折雲の切れ目から差し込む太陽の光に更にありがたみを感じた。

 

海から上がりウエットスーツの中に流し込むポリタンクのお湯が気持ちいい。

 

僕のポリタンクは10リットルで、家で熱湯をたっぷり入れてくる。

 

使う頃には冷めてちょうどいい温度になっている。

 

ウエットスーツから陸用の服に着替えマサミの白いステーションワゴンに乗り込む。

 

 

アクシデントは帰りの車内で起こった。

 

 

右目がむずむずしたのか目をこすった直後にそこから痛みが走った。

 

瞬きをすると激痛に襲われるのである。

 

そして悲しくも嬉しくもないのに涙があふれてくる。

 

ごみでも入ったのであれば涙が流してくれるのだが、しばらく経つもそのような気配は一向になく、また瞬きが激痛へのひきがねになるので、上下の瞼を指で無理やり開いて痛みを逃れるも、だんだんと目は乾燥し涙も追いつかず、結句ドライアイに耐えられず激痛覚悟の瞬きをする。

 

 

イッテぇ!!

 

 

指で瞼を広げた右目を助手席のケンイチの前に突き出しごみの有無を確認してもらうも、視力の良くないケンイチは自信なさげにごみは見当たらないと言う。

 

起きていると瞬きの度に痛くなるので、目を閉じてみたら最初は痛いのだがだんだん慣れてきていつの間にか寝入ってしまった。

 

気がつくとケンイチの家の近くまで帰ってきており、相変わらず瞬きの度に痛みが走るのだが、痛み慣れしたせいか先程よりは楽になった。

 

ケンイチが降り次に僕を降ろすとマサミは杉並の自宅に帰って行った。

 

 

午後は出掛けず大人しく過ごした。

 

 

翌朝まだ暗いうちに目が覚めるもその後は目をつぶると痛みが気になり2度寝は出来なかった。

 

昨日と較べれば痛みは大分減ったが、場所が場所だけに眼科に行くことを決意した。

 

診てもらったら角膜に傷がついて炎症を起こしているとのことで、その様子を写真で見せてもらった。

 

写真は目の検査機器についてるデジカメで撮ったのだろうが、こりゃスゴイ!と感動してしまった。

 

点眼薬出しとくから、ちゃんとつけて、効かなかったらまた来て、と言われて診察は終わった。

 

 

2012年は医者の世話にならない年だと思っていたら甘かった。

 

去年はエイに刺され、一昨年は歯の詰め物が外れ、病院に行った。

 

先一昨年は確か何もなかったはず。

 

その前はサーフボードが頭にあたって鼓膜が破けたりと、一生に一度あるかないか、かなりの珍事で病院に行ってる。

 

しかし、たまに病院行くのも勉強の1つかなと思う。

 

それは自分の知らぬ世界に触れるということ、海外旅行みたいなものだ。

 

今回の眼科で何を得たかは今のところ分からないが、そのうちに新たな気づきがあるのだろうと思う。

 

 

さて、今度の日曜は山、トレッキングだ。

 

今年一番の冷え込みになるそうだが、気持ちまで冷えないようにしよう!

'12/11/8 (Thu)

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ラン中は思考が停止する。

 

感覚が研ぎ澄まされる。

 

すると、思いがけないひらめきが起こる。

 

 

山を歩いている時も思考が停止する。

 

ただ歩くだけのことに喜びを感じる。

 

すると、日常の事などちっぽけに思える。

 

 

波に乗ってる時も思考が停止する。

 

自分の出来ることを出し切る、ただそれだけ。

 

すると、気持ちよくなる。

 

 

僕にとって思考停止は無くてはならないもの。

 

思考が停止したとき何かが起こっている。 

'12/10/19 (Fri)

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ここに到るまでの話の後篇である。

 

 

頂上にある避難小屋の軒で雨を避けホッと一息ついた後、今夜泊まる山小屋を目指し山を下りた。

 

頂上付近の東京側はしっかりした山道であるのに埼玉県側は雑木が鬱蒼と生い茂りなんとも薄気味悪く、そして狭く大小様々な岩だらけの道なのであろう。

 

こんなとこでも財がものを言う格差社会の波紋が拡がっているのだろうか。

 

先頭はダイちゃん、続いて僕とスケさん、そしてしんがりはサザさんという列になりはしたが、ものの5分と経たないうちにダイちゃんの単独一騎駆けとなった。

 

山慣れしている人は下りが強いのだと思った。

 

体力だけではどうにもならない。

 

 

しばらくすると下からダイちゃんが大声で、道は合ってるか?と尋ねてくる。

 

サザさんが、合ってる!と返すもダイちゃんには届かない。

 

間に入っているスケさんが拡声器になったかのように大声でそれを伝える。

 

ダイちゃんがそれを聞いて更に突き進む。

 

途中、ミニチュアダックスフントをカバンに入れた2人組とすれちがった。

 

クリッとした目がカワイイ。

 

そしてさっきから独り言のようにサザさんが何事か呟いている。

 

よくよく聞いてみると、下に山小屋の給水タンクが見える、というのであるが、僕とスケさんの目には全く確認できない。

 

さすがサザさん!過去に3回も来ている人は違う!と思った。

 

山小屋を目指す足取りは軽くなりどんどん山を下った。

 

しかし、確か頂上から20分下ると山小屋のはずなのであるが。。。

 

 

休憩中のダイちゃんに追いついた。

 

4人そろったところで、ダイちゃんからこんな一言が。

 

「 もう1時間近く経つが山小屋なんてないぞ。 」

 

えっ?!もうそんなに歩いたの、と思ったが僕は時計を持っていないので確認のしようがない。

 

3回も来ているサザさんはこの道に間違いはないと言うのであるが、1時間も歩いて山小屋に着かないというのは絶対におかしいという疑惑だけが残り、地図を確認するまでもなく頂上まで戻るという結論に至った。

 

ガーン

 

給水タンクの一件は僕もスケさんも黙っていた。

 

結論が出た以上今ここで持ち出しても何も意味をなさないのがお互い分かったからであろう。

 

 

とりあえず4人は無言のまま今下りた道を登り始めた。

 

僕の足取りは一気に重くなり、あの岩だらけの道を想像すると更に重たくなるのであったが、明るいうちに頂上には着きたいという思いから出せる力を振り絞った。

 

行軍は2−2に分かれ先頭グループはダイちゃんと僕になり、途中後続組を待つ間に地図を確認した。

 

どうやら埼玉県側でなく山梨県側に下りてきてしまったようなのである。

 

道を間違えてしまったのはほぼ確実だとすでに思っていたのであまりショックはなかったのだが、そうだとしても埼玉県側に下りる道などなかったという記憶が僕にもダイちゃんにもあった。

 

とにかく訳が分からないので避難小屋の人に聞いてみようとダイちゃんが言ったので、僕は驚いて、避難小屋に人なんかいたの?と返した。

 

さっき避難小屋の軒で雨避けをしている時にダイちゃんは中から数人の話声を聞いたとのことである。

 

流石だ。

 

 

後続組がやってきたのでダイちゃんが再び登り始めた。

 

僕はそれに続いたが、明るいうちに到着できるのか少し不安になった。

 

そんな不安もよそに意外とあっという間に避難小屋に戻ることができ、しかもこの辺りは開けているので森の中より大分明るかった。

 

どうやら1時間というのはダイちゃんがサバ読んだのだと思った。

 

実際には30分かそこいらだったのだろう。

 

しかしあの時ダイちゃんが不信に思わなかったら一体どうなっていたのだろうか。

 

そして同時にある思いが頭をよぎった。

 

サザさんが見たものは一体なんだったのだろう。

 

 

親切にも避難小屋に今夜泊まろうとする人が途中まで道案内してくれた。

 

結句僕らは頂上を間違えていたのであったが、しかしそこには山頂と書かれた棒が立っていたのであり、しかもご丁寧に小石までもが山積みまでされていたのである。

 

なぜこんなことをするのであろう。。。

 

 

避難小屋から本物の山頂まではわずか1分ほどであるが、さすが本物は東京都最高峰であり日本100名山でもある山の山頂であり、堂々としたものであった。

 

しかしこの天気では折角の山頂でありながらも何も見ることはできず、ここが山頂であること以外には何も得るものはなかった。

 

案内してくれた人が山小屋へはあそこから下りればいいと教えてくれ、丁重にお礼を言い僕らは山を下った。

 

山に悪い人はいない。

 

 

頂上へは東京都からも埼玉県からも山梨県からも登ることができるのだが東京都の道が一番いい。

 

続いて埼玉県、山梨県の順であるが、どちらもすぐに森に突入する。

 

山梨県の悪路で慣れたためか埼玉県の道は大分やさしく感じたが、昨日の雨でできたのであろう水溜まりの連発には誰もが閉口した。

 

あっという間に辺りは暗くなったが、山小屋の明かりが見えたときには本当に嬉しかった。

 

 

部屋でビール → 食堂で夕食 → 部屋で芋焼酎 →

20:57山小屋の人がやってきて今しゃべってるのはここだけだ、消灯後は一切しゃべるなと念を押される →

21:00消灯 → 6:00起床 → 食堂で朝飯

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山小屋に着いた時には真っ暗で分からなかったのであるが、こんな感じのとこに泊まったのである。

 

今日は昨日とは打って変わっての快晴、空気は爽やかに澄んで涼しさを通り越し冷たくもあるが、太陽の光がほんのり肌を温める。

 

 

頂上へ向けて出発の準備が整い、僕らは足取り軽く歩き始めた。

 

山小屋の敷地を出ればすぐに森であり、昨日と同じ道だが、登りの時は頂上まで30分かかる。

 

昨日は暗くて自分の足元しか見えなかったが、あまりの森の美しさに途中僕は足を止めた。

 

まるで絵本に出てくるおとぎの国の森のような森なのである。

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森にこんなにも感動するものかと改めて自分の感受性に驚き、その興奮をさらに跳ね上げるかのように頂上に到着!!

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'12/10/12 (Fri)

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ここに到るまでの話である。

 

 

ホリデー奥多摩1号に乗るべく新宿駅に向かう。

 

待ち合わせ場所は南口のドトールの前だ。

 

登山への興奮が冷めやらず前夜はほとんど眠れずに朝を迎えたため、常識的な集合時間よりもずいぶん前に到着してしまった。

 

天気は雨だが、快方に向かうという予報。

 

待ち合わせ場所には僕と似たようなスタイルをした人たちをたくさん見た。

 

みな山を目指しているのだ。

 

 

友達のスケさんとその兄のサザさん、そして彼らのいとこのダイちゃんがやって来た。

 

僕はスケさんに誘われての参加なのだ。

 

話が来たのはおよそ2ヶ月前。

 

山小屋1泊の登山という計画で、山具はちゃんと揃えておくようにという乱暴な話だった。

 

だいたい僕は富士山と高尾山、中学の修学旅行で登った蓼科山くらいしか登ったことがなく、何一つ山具など持っていなかった。

 

そこで思い浮かんだのが友達のマサシ。

 

とりあえず山のことならマサシに聞いてみればいいのである。

 

ちょうどタイミングよく休みが合って山具屋に一緒に付き合ってくれることになった。

 

ザック、ブーツ、アパレル、小物など色々見て回れることができ、何もゲットはしなかったが頭の中におおよそのアウトラインが出来上がった。

 

その後は何度も山具屋に足を運びアイテムを揃えていった。

 

 

さて、メンバーが4人全員揃い、乗り込んだホリデー奥多摩1号は奥多摩駅を目指すべく出発した。

 

 

奥多摩駅に着いたときにはほとんど雨は上がり、予報どおり快方に向かっていった。

 

駅からはバスで登山口まで運んでもらった。

 

山奥でもSUICAが使えたのはありがたい、さすがは東京都だ。

 

登り始めるとさすがに暑い。

 

ボタンダウンのチェックのシャツを脱ぎTシャツ1枚になる。

 

先頭を行くのはダイちゃん、ダイちゃんは東北の名だたる山は8割がた制覇したという健脚の持ち主でとても還暦ま近とは思えない。

 

登山は80まで楽しめるとダイちゃんは言っている。

 

次に続くのは僕で、後ろはスケさんとサザさんだ。

 

山道は山肌に沿って進んでいくのだが、道幅は思ってもみなかった細さであり、谷を見下ろせば斜面は垂直に切り立ち、目はクラクラ、足はガクガクしてきそうなほどであった。

 

ここも東京都であるからには税金で道を広げてほしいくらいである。

 

 

トレッキングは順調に進み、水とエネルギーを補給するべく軽い休憩をとった。

 

ザックから取り出したのはスティック状のドライパイナップルだ。

 

パイナップルの線維に程良い歯ごたえがあり、凝縮された独特のうま味が口いっぱいに広がり、¥298のわりには思いがけぬ美味さであった。

 

皆にも食べてもらったがかなりの高評価を得た。

 

10分も休むとあれだけ熱かった体が急激に冷たくなった。

 

しまったチェックのシャツを取り出して着た。

 

 

休憩を終え歩き始めると3分もしないうちにまた体が熱くなった。

 

ついさっき着たシャツをまた脱ぎザックにしまう。

 

服の調節に忙しい。

 

ダイちゃんからなるべく汗をかかないように服を調節するようにと教わった。

 

山では自分の掻いた汗が命取りになるとのことである。

 

しばらく登ると中腹の山小屋に着いた。

 

朝の曇天もすっかり晴れ上がり日差しがポカポカと暖かく気持ちが良い。

 

ここで昼食も摂れるのだが、もう少し進もうということになった。

 

 

途中驚くべき光景を目にした。

 

あの細い山道、落ちたらまず助からない山道、税金で道幅を広げてほしいくらいの山道を自転車をかついで降りてくる4,5人のグループと出会った。

 

もちろんマウンテンバイクなのであるが、こんなとこを走るのか!、それもそうだが走れるとこならまだいいが、走れないようなとこをバランスとりながらかついで行くのか!風吹いたらどうなんの?、と思った。

 

世の中いろんな人がいるとは言うが、いや、山にはいろんな人がいるのだろう、とにかくド肝を抜かれた。

 

 

1時半過ぎにちょっとした広場に到着したのでそこで昼食になった。

 

梅と鮭のおにぎり、卵焼き、ウインナー、きゅうりの浅漬けと全てスケさんとサザさんが作ってきたものだ。

 

こういうとこで食べるおにぎりはなんと美味いのだろう!!

 

有り難く頂戴した。

 

体を動かさなくなると途端に体が冷える。

 

標高は1700mくらいで、しかも雲の中に入ったようで気温もかなり下がってきた。

 

チェックのシャツだけではしのげず、普段は真冬のランで着る防寒用の上着を着た。

 

山ではあまり見かけない格好になった。

 

 

特大のおにぎりで胃の腑を満たした後は頂上を目指すべく出発した。

 

1時間半ほどで到達だが、途中雨に降られた。

 

ここにきて雨かと思ったが、使うかどうか分からないにも関わらず必須ということでモンベルで買ったカッパの出番になったので妙に嬉しかった。

 

防寒用の上着の上に着たのでかなり温かくなり、しかも山用の格好に戻った。

 

ようやく山頂にたどり着いたがこんな天気で何も見えない。

 

今夜泊まる山小屋はここから埼玉県側に20分程降りたところにある。

 

うす暗くはなってきたが、余裕をもって到着できそうである。

 

しかし、この後背筋も凍りつくようなハプニングが起ころうとは誰一人予想だにしていなかった。

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