'09/3/22 (Sun)
人は幼少期に自分の人生のシナリオを作ります。
今の自分はそのシナリオにそって行動し、シナリオが正しいことを検証しているのです。
おそらく、そんなの作った憶えない、ってほとんどの人がそう思うでしょう。
そう思えない人は、自己洞察をされて、自分とよく向き合っている人、なのだろうと思います。
なぜ憶えていないのか?
それは、無意識のうちに作っているからなのです。
さらには、いつのまにか出来上がってしまっているので、大抵はその内容はもちろんのこと、存在にも気がつかないままでいます。
実は、そのシナリオには、現在の生活には必要のない事まで書かれています。
1つ例を挙げてみます。
幼少期は自分の力で生活していくことはできません。
親なり親の役目をしてくれた人、養ってくれた人の力で生きていたのです。
つまり、その人たちに嫌われてしまったら生きていけなかったのです。
嫌われるか好かれるかは生きるか死ぬかの問題だったのです。
嫌われないようにしたのか、好かれようとしたのかは分かりませんが、生きていくことを選んだのは間違いありません。
どうすれば生きていくことができるのか、幼少期に体験し、学習しているのです。
実は、そこで学んだことが今もシナリオになって残っているのです。
大人になった現在の生活のなかで、人に嫌われたら生きていけないでしょうか?
中にはそういう方もいると思います。( そういう方に対して、ここで先に誤っておきます。ゴメンナサイ。 )
しかし、大半の人はそうではないと思います。
嫌われても生きていけます、と僕は思ってます。
幼少期には生死を分ける問題だったものが、大人になった今は生死を分ける問題にはなっていないのです。
どういう形でシナリオに書かれたか分かりませんが、そこが幼少期に作ったシナリオが現在の生活には必要のない部分です。
その必要のない部分が、現在の生活の邪魔をしているのであれば、シナリオを書き換えることもできます。
僕は今、書き換えています。
どんなものかはナイショです。